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■ラートの歴史 |
Flashを用いてラートの歴史をご覧頂けます

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(2分15秒で、各章とも30秒程度の内容です。※現在製作途中です)
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第T章 〜 誕生 〜
1925年、【オットー・ファイク】というドイツの方が、子供の遊び道具として初めてラートを作る。
ラートの正式名称は【Rhoenrad】といい、ルーン地方で作られた輪という意味である。
日本においては1927年に長島鷲太郎という方が【タイヤ運動具】として特許申請している。
第U章 〜 戦前 〜
【1936年】 ベルリンオリンピックにて、ラートの演技が行われる。
日本では体や平衡感覚を鍛える為に、陸軍や海軍がフープ(回転器)という名で使用している。
ところが、日本の敗戦とともに、陸海軍の使用していたフープも姿を消していく。
第V章 〜 戦後 〜
ドイツではラートをスポーツの目的に使用するようになり、これが体操連盟に認められる。
その後相次いで選手権大会が開催され、ラートはスポーツとして考えられるようになる。
この時期は日本にまだラートが導入されていないが、軍事的道具からスポーツへの変化がある。
第W章 〜 普及 〜
1988年、ようやく日本でもドイツからラートがやってくる。
その翌年には日本ラート協会が発足し、発展のさきがけとなる。
いくつかの大学や短期大学で主に視覚障害者スポーツとしてラートが導入される。
1995年からは世界選手権が始まり、日本も同年から全日本選手権が開催されるようになる。
第X章 〜 発展 〜
2005年、春。全日本学生ラート競技選手権大会実行委員会が大学生だけの大会【インカレ】を開催する。
2006年も前年に引き続き大会を主催し、ラートの普及と発展を目指す。
今後とも競技人口の増加や認知度向上に大きく寄与し、更に活動の場が広がっていくことを願う。
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2006年7月23日
全日本学生ラート競技選手権大会 実行委員会
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